幻のパイロットフィルム特集


今回は久々の特集ページ。
昭和40年代に製作され、TV放送を前提に作られながらも
諸事情で製作決定に至らずお蔵入りしてしまった
所謂「パイロットフィルム」を紹介します。

パイロットとはスポンサーや代理店に商品見本として売り込むための試作品フィルム。
作品の趣旨や簡易的概要を理解してもらって、
スポンサーや局に納得してもらおうと言う目的のものですが、
なかなかこれがうまくいかない。
パイロットのまま買い手がつかずお蔵入りになったフィルムの何と多いことか。
作るのだって大変なんです。

今回はそんな不遇のパイロット作品の中から、比較的有名な5本を紹介します。


ケネディ騎士団

(1967年3月製作 カラー30分 製作・TCJ(現・エイケン) )

ケネディ騎士団パイロット版より

制作費1千万円!当時破格の予算で生まれたパイロット
原作は当時「ひみつ探偵JA」などで少年アクション漫画の旗手として知られた望月三起也氏。
ワイルド7が世間的には有名でしょうが。
本作は月刊少年雑誌「少年ブック」誌上において
1966年から連載された少年メカアクション漫画。007の雰囲気も持たせ、
秘密兵器やスーパーメカを駆って悪の秘密結社と戦うというこの漫画は
たちまち子供たちの間で評判となり、連載1年ほどで早くもアニメ化の話が持ち上がります。
そして、1967年という時期において、カラー30分ものパイロットフィルムが完成します。
あらすじはこう。

パイロットフィルムより。パイロットフィルムより。

某国が発射した宇宙ステーション打ち上げ
ロケットが謎の爆発をおこす。

その爆発現場を見て
にやりと笑う謎の女・ヘレン。
「うまくいったわ。
宇宙ステーション打ち上げ成功は
セルニア国だけでいいのよ…」

国連では事件の首謀者である
セルニア国に諜報部員を送り込んだものの
ほぼ全員ナゾの死を遂げてしまっていた。
このままではセルニア国と
多国間で世界戦争が起こる!
国連秘密諜報部のバイネス部長は
日本支部長の影山氏に告げる。
「キング影山!ケネディ騎士団の出番だ!」

ケネディ騎士団―
故ケネディ大統領のニューフロンティア精神を
受け継ぐべくして 生まれた
世界規模の正義の少年結社である。
「勇気・誇り・友情・情熱・
努力・希望・誠実」の7つの合言葉で結ばれ、
国家・人種・思想・政治・宗教を超え、
人類の幸福と平和を守るのが使命なのだ。

ケネディ騎士団日本支部では
A級騎士として過酷な訓練に耐え抜いた
源九郎・平真吾・一の木勘太らが
影山氏のもとに呼ばれた。
宇宙ステーション打ち上げの現場で
犯人が現れるのを張り込むのだ。

女スパイ・ヘレンは騎士団のウラをかいて
打ち上げ前のステーション爆破に成功。
ヘリで逃げるヘレンを追って、
源はヘリにしがみついた。

源が辿り着いた場所― そこは世界征服を目論む
秘密結社ゼウスの秘密基地だった。
そう、諸悪の根源はすべてこの秘密結社ゼウスの仕業であり、
宇宙ステーション建設妨害をセルニア国の仕業にしたてあげて
各国間の情勢を険悪にし、
戦争を引き起こさせるのがゼウスの目的だったのだ。

源は騎士団であることがばれ、
銃殺刑にかけられようとする。

が、そこに
騎士団の特殊戦闘機・ペガサスが飛来。
平らの決死の救出作戦によって
源は脱出。
壮絶なる敵戦闘機とペガサスの空中戦の末、
騎士団は勝利し、 秘密基地も破壊。
世界戦争はこうして回避されたのだった。
パイロットフィルムより。



突然の中止。そしてフィルムだけが残った。

パイロットフィルム画像


当時としては破格の予算・パイロットだけに1千万円以上つぎこむという力の入れ様に加え、
既にシナリオも4冊仕上がっていたというから 製作開始を待つだけの状態だったようです。

が、様々な諸事情(よく解らないのですが、条件面で折り合わなかった、とも)により
この豪華なパイロットはお蔵入りしてしまいます。

当時のスタッフ並びに原作者の発言を紹介します。

エイケン(元TCJ)・鷺巣政安氏
当時「少年ブック」の長野規氏が望月氏の「ケネディ騎士団」は大変人気があり、
メカが良くできていてアニメ向きだよと私に助言してくれました。
さっそくTCJ企画文芸で一緒に仕事をしていた
城山昇氏、平谷寿敏などと、
何日もかけて企画を煮つめたのが最初でした。
いまでもこの企画が実らなかったのは残念に思います。(後略)
原作者・望月三起也
この「ケネディ騎士団」は少年ブックの昭和41年の新年号から3年かけて連載していたもの。
ぼくのものでは最初のアニメ化ということだったので、
TCJなどに足しげく通いましてね。
こうしたら、ああしたらと随分相談したもんです。

ぼくはもともと銃・メカ・乗り物などが大好きで、
機械物などがどのように動かされるのか、是非見たかったんですけどね。
パイロットフィルムもつくられ、もう放映かとおもっていたら、
オクラ入りとは残念でした。

この豪華なパイロットフィルムはいまもなお
エイケンの倉庫の奥深くに40年以上も眠り続けているそうです…。


ケネディ騎士団 スタッフ

原作/望月三起也(少年ブック連載)
企画/長野規・TCJ
製作プランナー/鷺巣政安・城山昇・平谷寿敏ほか
シナリオ/足立明
動画・作監/小室常夫ほか
演出/高垣幸蔵
監修/渡辺米彦
主題歌/作詞・橋本淳 作曲・前田憲男 歌・ボーカルショップ&上高田少年合唱団


0マン

(1968年製作 カラー4分程度 製作・虫プロ)

0マンパイロット版より。

本格派大河SF科学漫画
本原作は漫画の神様・手塚治虫が昭和34年(1959)より週刊少年サンデーにおいて連載を開始した科学SF漫画。
あらすじはこう。

舞台は近未来。インドの奥地で一人の日本人がシッポの生えた赤ん坊を拾い、連れ帰ります。
リッキーと名付けられた赤ん坊は日本で人間の男の子として育てられることになりました。
リッキーが小学生になったころ、科学者の田手上博士は
ヒマラヤから「0マン」という生物を2体、日本に連れ帰ってきます。
リッキーは偶然のことからこの2人と出会い、その「0マン」という生物が自分の実の両親であることと、
自分もまた0マンであることを知ります。

0マンとは、かつて金星に生息していたリスの進化した知的生命体。
人間以上に知能が優れ、超能力も有する新人類だったのです。
そして両親からヒマラヤの地下深くに0マンの国があることを
リッキーは知らされます。向かったヒマラヤの0マン国は大僧正に支配された独裁国家。
彼らは人類征服を目論んで地上への挑戦を開始します。
リッキーは人類側に味方して、0マン国と戦う決意をします。が、
0マン国側は超兵器・電子冷凍機で地上を人間の生存できない極寒の地に変えてしまいます。
どうするリッキー?


イメージボードより。

かいつまんで前半部分のみの概要を。
詳しく知りたい方は文庫本や漫画全集読んで下さいね。
イメージボードから。 当時の少年漫画においてかなりハイレベルなテーマをあつかったSF漫画として
語り草になっている0マンですが、映像化の話も早くから来ていたそうです。
1963年、日本初のテレビアニメとして製作された「鉄腕アトム」ですが
他の候補として「0マン」もあったというから驚きです。
もし0マンがアトムに先んじて
放送されてたらどうなっていたんでしょうか。

アトム放送中に別枠で毎週1時間のアニメオムニバス枠を放映しようと言う
「虫プロランド」構想の一環として
「0マン」のアニメ化が企画されました。
しかし、製作人員、資金面で折り合いがつかず、
構想は1964年に雲散霧消となって頓挫。
1本だけ完成していた「新宝島」を1965年元旦にスペシャルアニメとして
流しただけにとどまっています。(考えたらこれが日本初の特番アニメ番組。)
その後1968年に再び「0マン」のアニメ化の気運が高まります。
1968年6月にテレビ局と接触し、イメージボードを繋ぎ合わせた3〜4分ほどの
パイロットフィルムが山本暎一・北野英明・村野守美氏らの手によって
完成します。
しかし、その後企画成就にはいたらず、
「現状ではスケジュール・予算ともたたず…」
と、結果お蔵いりになってしまいました。

0マンキャラデザイン(幼児版)

当初は原作通りの幼児体型の愛らしいリッキーがデザインされ
実際、このデザインのリッキーのセル&イメージボードも確認されています。
が、1968年製のこのパイロットは青年風のリッキー。
手塚治虫曰く「星飛雄馬みたいなリッキー」になってしまっています。
原画は麻雀劇画の大家として知られる北野英明氏が担当。
「どろろ」(1969)でも、原作と異なるアダルトタッチの百鬼丸を描いたことで知られる方です。

0マンキャラデザイン(青年版)

なぜこのようにキャラ変更が行われたのは不明ですが、考えられる理由として
「スポ根モノに代表される一連の劇画ブームもあって、世間の趣向の流れに合わせた為」
等が想起できるのですが。

当時関わっていたスタッフの証言が残っていたので紹介します。

クールなSF/脚本家・辻 真先
シナリオ担当ということだったんですけど、
まだ(作品の企画が)シナリオを書くところまでいかなかったんですよね。
大河長編を一話完結にするんだから(もしアニメ化していれば)
ストーリーの点では当然原作と違っていたでしょう。
前に作った「ジャングル大帝」がホットなら、
「0マン」はクールなSFになったんじゃないですか。
そう、SFというより、未来科学モノと言ったほうが近い。
イメージだけのパイロットフィルムは作りましたが
星の動きとかは宇宙的な感じが強かったように記憶しています。
ファンタジックないいものが出来たと思いますね。
時期尚早だったSF/原画チーフ・北野英明
原作の持つ大ロマンの世界を映像にするっていうんでたいへんな魅力だったな。
でも原作はあまりにもSF的で、アニメではホームドラマ的面をかなり入れていたように思う。
リッキーを学校に通わせるとかね。
SFが時期尚早だったんだな。10年は先取りしたような作品だった。
御大(手塚治虫)の作品はよく読めばSFの中にも家庭・平和・ヒューマニズムなどが
ちゃんとあるんだけどね。タイトルにしても、0マン(ゼロマン)なんて読んでくれない。
オーマンとかマルマンなんて…ライターじゃないよね。
放映されなかったけど、作る側からみればこの頃が一番楽しいんだ。
リッキーのシッポはズボン履いたときに理屈じゃふくらんじゃうけど、
かえって不自然だ、まあ、いいやなんて、こんな調子でああでもない
こうでもないと、やってるころだからね。
もし放映されていれば、SFファンタジーの先駆けとなり、楽しい作品を作れたろうけど
残念だったな。
創造の楽しさ/原画担当・村野守美
そう、まだイメージボードを描いていた段階だったな。
プロットをたてて、プロットにしたがって、こんな画面、あんな画面と断片的に描いていた。
映像的には当時はやっていたピーター・マックスだのサイケデリックを取り入れようと
していた。でも、子供たちにうけたかどうか。
保守的かもしれないけど、アニメは夢と希望と正義でいいのかもしれない。
でも、ひとつの作品をつくるということは、その裏にボツになった作品があるということだ。
作品が無駄になるのは結果であって、創造しているときは陽の目をみることを
夢見ながら夢中になっているものだ。
夢中になって没頭して― 青春はいいねぇ。

もし0マンが電波に乗っていたらその後の日本のSFアニメは
違う展開を見せていたかもしれませんね。



0マン スタッフ

原作/手塚治虫(週刊少年サンデー掲載)
プロデューサー/山本暎一
原画チーフ/北野英明
SFオブザーバー/石津嵐
原画/村野守美・波多正美
動画/瀬山義文
背景/伊東恒久
シナリオ/辻真先


宇宙船レッドシャーク

(1965年製作 カラー・6分 製作・ピープロダクション)

レッドシャーク画像

日本初のカラーテレビアニメへの挑戦

原作は横山光輝氏が昭和40年4月から集英社の月刊雑誌「少年ブック」に連載した科学漫画。
当時「0戦はやと」を製作していたピープロがパイロットの製作に乗り出しています。
パイロットアニメが製作されたのは昭和40年8月で、掲載から4ヶ月という早業です。

レッドシャーク画像2

ストーリー
日本最初の少年宇宙パイロットに選ばれた一色健二は突然指令を受ける。
82基地の司令官は健二に宇宙船レッドシャーク号に乗り、部下をまとめて宇宙に旅立てというのだ。
だが、あつめられた部下はごろつきの集まりだった…

レッドシャーク画像2

月刊誌6号分の内容(40年9月号まで)を要約し、6分の内容に収められています。
輸出も考慮されており、 「WX・BOY」という仮題もつけられていました。
TBSでの放送が念頭に置かれ、あわよくばジャングル大帝に先駆けて
日本初のカラーアニメとして放送されていたかも知れなかったものの、結局お蔵入り。
絵柄は横山光輝先生のものより丸みを帯びたものになっていますが、
これはピープロが当時虫プロの下請けで鉄腕アトムの製作を担当していたからで、
その影響ではないかと推測されます。



宇宙船レッドシャーク スタッフ

原作/横山光輝
製作/ピープロダクション
主題歌/渡辺岳夫


スーパータロム

(1972年製作 カラー23分 製作・ナック)

タイトル

タロムとアトムの関係
本作品は昭和47年、手塚先生がどん底の状況にあった際に
「アトムを僕らの手で蘇らせよう」と、旧虫プロの人たちの手によって企画制作されたものです。
あらすじはこんな感じ。

タロム誕生

ストーリー
西沢博士と白髭博士(名前不明)によって生み出された
3人の超人間、タロム(正義の力)・ルビー(博愛)・ファイター(闘志)。
彼らは西沢博士の死後白髭博士の元で普通の子供として育てられていたが
世界征服をたくらむカイザーが超科学兵器で破壊活動を開始。
白髭博士はタロムたちの使命を説き、ここに地球の平和を守るために戦うスーパータロムが誕生。
カイザーの悪の手から人々を守るために奮戦する。

白髭博士

スーパータロムの思い出/真佐美ジュン
昭和47年秋、私は杉山卓さん演出作画による
「スーパータロム」と言パイロットフィルムを制作している。
当時ナックと言うアニメ制作会社が、青梅街道沿いの中野にあった。
ナックと言う会社は、ワンダースリー、リボンの騎士が終ってしばらくして、
月岡貞夫さんや小柳朔郎さん西野 清市さんら同じ志をもった人たちが
独立して作った会社だと記憶している。
 当時はすでに社長の西野 清市さんだけだった。
手塚先生の今までの版権が、騙し取られ今後一切使用できないことで、
今までの手塚原作アニメの制作が不可能となっていた時であった。

西野 清市社長は「鉄腕アトムはもう作れないけど、このままにはしておけない。
スーパータロムで、アトムの夢を引き継ぎたいのだ」と言うことを説明して、制作担当を頼んできた。

初めの約束では10分のパイロットと言うことであったが、杉山卓さんが
演出と作画を担当した、と言うことでどんどん作画が上がってきてしまい、
その手配にてんてこ舞いした。

気がつけば、23分と言うテレビ番組1話分の作品に仕上がってしまった。

西野 清市社長は、10分なら1ヶ月もあれば作れるだろうぐらいに考えていた。
それが2ヶ月にもおよび、作品も23分になってしまった。予算が倍以上に膨れ上がり、
真っ青になってしまった。もう給料が払えないと言うのでパイロットが完成すると同時に会社を去ったが、
その後、売り込みに成功したと言う情報は得ておらず、
私にとって幻の作品となってしまった。(真佐美ジュン氏の日記より引用)

タロムピンチ

内容は先に述べたとおり。キャラクターの一部がのちに同社で作られる
「チャージマン研!」に影響を与えたと言われています。
杉山卓氏はどちらかというと芸術家肌だったらしく、妥協を許さず作った結果
パイロットにしては大掛かり過ぎる23分もの作品になってしまい
関係者を慌てさせたとのこと。しかも結果本作が売れなかったために
ナックは負債を被ることになります。それゆえか1972年のアストガンガーから1974年のチャージマン研まで
1年近くナックの製作年表に空白期間がありますが、この豪華なパイロットが影響したのでしょうか。
真相は定かではありませんが。改めてパイロットをみると、殆どテレビアニメ第一話と言って申し分無い内容。
パイロットにしては贅沢すぎます。当時このようにプレゼンしたものの売れないまま消えていった
パイロットフィルムはいったいいくつあったのでしょうか。



スーパータロム スタッフ

製作/ナック
作画・演出/杉山 卓


フータくん

(1965〜67年製作 モノクロ(複数本?)  製作・日本放送映画KK)

画像がありません。

謎に満ちた藤子アニメ
藤子不二雄アニメ第一号「オバケのQ太郎」(1965.東京ムービー製作)に続く
第二弾になったかも知れない本作は当時週刊少年キングに連載されていた
藤子不二雄A氏の手によるギャグマンガ。
週刊誌の表紙を飾るほどの人気を博していて、オバQ人気を見越した結果、
パイロットフィルムが作られたのは想像に難くありません。

製作したのは現状の情報では日本放送映画KK。
当時設立されたばかりの新興会社で「戦え!オスパー」「飛び出せ!バッチリ」なども製作した会社です。
本作が存在したという情報を私がはじめて知ったのは徳間書店が1988年に発行した資料本「TVアニメ25年史」に
「謎のアニメ・フータくん」というコラムが掲載されていたのを見たからです。その内容を抜粋しますと、

「謎のアニメ・フータくん」
この本を製作するにあたって資料集めをしていた編集部取材班は
藤子不二雄原作TVアニメがもう一本あったという情報を得た。
その作品は昭和39年8月から週刊少年キングにて連載された「フータくん」で、
日本全国をアルバイトしながら旅行して回るという少年の物語。(中略)

昭和40年代の前半頃、TV局に売り込むためのパイロット版として数本のエピソードが完成していたという。
そういう事実があるかどうか、原作者側に問い合わせたところ、先生自身も覚えがないということだったが、
その後16ミリプリントが某フィルム倉庫に保管されているらしいということが判明した。
その倉庫の管理者によれば、たしかにそういう作品はあったという返事。
当時、TV番組のカラー化が主流だったにもかかわらず白黒で製作されたためと、
内容が地味だったため、長い間買い手がつかなかったという。
その後、数年して中国・四国地方のTV局で他の番組の穴うめとしてオンエアされたらしい。

しかし、ついにフィルムそのものは発見できず。真相はベールにつつまれたまま、ついに時間切れとなってしまった。
(徳間書店発行「TVアニメ25年史」50Pより抜粋)


電波に乗ったパイロットフィルム
結果としてパイロットフィルムは作られたものの買い手がつかずお蔵入り。
そのうち制作会社は解散してしまい、フータくんのパイロット版は宙に浮いたまま
倉庫に眠ることになってしまいます。
スタッフは当時の日本放送映画KKの「とびだせ!バッチリ」のスタッフと同じと思われるのですが、
一切の資料が残っておらず確証はありません。
他のサイト様の情報によるとどうも15分番組として1974〜5年に放送された形跡があるらしく、
当時のオバQにならった15分二本立てのフォーマットであった可能性が高いです。
パイロットは二本ワンセットで製作され、もし放送に繋がれば本編に流用する目論見もあったと思われます。
なぜフィルム倉庫にパイロットが流れたか、TV局がフィルム倉庫からパイロットフィルムをなぜ借り放送したか、
その経緯は不明です。日本放送映画kkの作品の著作権表示は全てNTVと表記されていて
(TVアニメ25年史による)現在各作品の管理状況は不明です。
フータ君はひょっとして、TV局にパイロットを売り込んでいる最中に会社が解散し、
そのまも置き去りにされ、TV局がフィルム倉庫に保管した…と考えられるのですが。



フータくん スタッフ

パイロットフィルム製作-日本放送映画KK
製作年‐1965〜67頃
放送形式-16ミリフィルム・モノクロ・15分2本形式


性質上表に出てこない類いの作品ばかりなので
今回は資料集めに苦慮いたしました。それでもなお見つからなかったのが実情です。
フータくんは1年半以上探して結局画像を見つけられず。
見つかれば掲載したいと考えていますが。
ではまた次回。

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