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東映B編まんが映画特集


さて、3ヶ月ぶりの更新です。
今回は劇場映画の特集。といっても、夏休みとかでよくテレビで
流されたものなので、知名度は結構高いです。
かつて「東映まんがまつり」という児童向け興行が行われていた
昭和40年代中盤、本格的な長編動画は基本的に春に公開されていましたが、
夏休みはB編と言われる、一時間以下の中篇が公開されていました。
そんなB編と言われる作品群の中で、特に印象に残るオリジナルSF編を
3本ご紹介します。
今回はこの作品から。




空飛ぶゆうれい船劇場ポスター

空飛ぶゆうれい船
(1969年7月20日東映系封切・カラーワイド6巻 1958.6m 60分)
観客動員数 195万人
同時上映・飛び出す仮面の忍者赤影・もーれつア太郎・ひみつのアッコちゃん

強烈なる社会風刺アクション
原作は故・石ノ森(当時表記は石森)章太郎氏が若き日に書上げた漫画「幽霊船」。
ストーリーの骨子を生かしつつ、60年代後半〜70年代序盤に吹き荒れたラディカリズムを
随所に挿入。結果、児童向け漫画とは思えない痛烈な社会風刺に満ちた
異色の傑作映画になりました。 ストーリーはこちら。

冒険心旺盛な少年、隼人は父に連れられて海に出掛けていた。
そんな折、湾岸道路で倒れている老人を隼人たちは助ける。
その老人は隼人の父親の会社の会長、黒汐氏だった。
黒汐氏を助けたことにより、隼人たちは不気味な髑髏の顔をした
「幽霊船長」に追われ恐怖の夜を過ごす事になる。

事件から数日後、父親と街をドライブしていた隼人は、
突如現れた巨大ロボット「ゴーレム」の襲撃を受ける。
ゆうれい船の使いを名乗るゴーレムは次々街を破壊、
隼人の父も母も瓦礫の下敷きとなり死亡する。
死に際に父は「お前は実の子では無い、今から10年前に
板切れに乗って流れ着いた赤ん坊がいた。それがお前だ、
お前の本当の両親はほかにいる」と言い残して事切れる。
ゆうれい船のせいで天涯孤独の身となった隼人は、ゆうれい船撃滅の
部隊に入れてもらおうと、国防軍とも親密な関係にあるという黒汐会長のもとを
尋ねる。そんな折、テレビでゴーレムの被害報道が放映される中、
突然海からゆうれい船が出現。ゴーレムと対決し始めた。
「ああっ?仲間割れだっ!」ゴーレムの攻撃は一切ゆうれい船に届かない。
ゆうれい船は甲板や側舷からミサイル、レーザーを一斉掃射。
ゴーレムは大破し海中に沈没する。
「どうなっておるのだ!今テレビを見ておる!」急に狼狽する黒汐氏。
隼人も不思議に思い、黒汐氏に尋ねようと後を追うと、
偶然黒潮の応接室から秘密基地に繋がるリニアレールを見つけてしまう。
隼人はレールの椅子に乗って秘密基地を通っていくと、そこには先ほど大破したゴーレムが。
しかも同じドックで国防軍の戦車や戦闘機も修理製造されている!
「どういう事だ?」隼人が疑問に頭がこんがらがりそうになっていると、
着いた先は国防軍の緊急秘密会合。そこには黒汐会長を筆頭に、国防軍長官、
大臣、官僚、経済界の重鎮、放送局の人間などが深刻な顔で今後の対処を
検討していた。「今回のゆうれい船とゴーレムとの激突をテレビに見せてしまった
事によって、われわれのゆうれい船抹殺計画が台無しになった。」
今までのゆうれい船騒動はすべてここにいる黒汐会長や国防軍長官、
官僚閣僚経済界重鎮らの引き起こした自作自演だったのだ。
事実を知った隼人は警察にそのことを告げにいくが
警察は相手にしない。「おじさんたちはどうして本当の悪を知ろうとしないの?」
そんな折、隼人は黒汐会長を助け、ゆうれい船と戦う勇敢な少年ヒーローとして
黒汐テレビのワイドショーに出演させられることになる。
「ぼくは今テレビに出てるんだ、全国に映ってるんだな、だったら…」
隼人は生放送のテレビで黒汐の正体を暴露する。隼人は取り押さえられてしまうが
地下より突然カニ型のロボットが無数出現、街を占拠してしまう。
黒汐にカニロボットが語りかける。
「ボアーの命令を伝える。お前達はゴーレムを壊し、幽霊船撃滅に失敗した。
ボアーにとって幽霊船の存在はこの上ない脅威である。
しかもボアーの存在が明るみにされたことで、最早お前達の存在意義は無くなった。」
カニロボットは黒汐を捕らえると、溶解泡で黒汐を処刑する。
隼人は驚愕する。「黒汐がボスだとおもってたら、その上にまだいるなんて…」
隼人はカニロボットによってテレビ局の屋上に追い詰められる。どうなる隼人!


と、いちおうここまで。
これは本編を見てもらいたいので
続き気になる方はレンタルでもDVDでも一度閲覧されることをお奨めします。

さて、ここから作品背景の解説をば。
当時、東映の長編動画は春に本格的なA編(1時間以上の尺のもの)を、
夏休みの盆興行にはB編(1時間以下の尺の中篇)を、というのが主になっていて、
この「空飛ぶゆうれい船」は夏用の中篇として作られた作品です。

当時のポスターを見ると、既に放送を終わって久しい「赤影」の再編集立体版映画が
つけられていますね。当時を知る人には懐かしいセロハン紙眼鏡で見る
擬似立体映画です。とはいえ全体的にこじんまりしたプログラム。
ところが、主体である「ゆうれい船」が面白かった。
前半は怪奇色を強めたミステリー風の演出から始まり、徐々にアクション性が上昇。
気がつけば、社会批判、風刺を練りこめたストーリーに唖然とさせられつつ、
次第に侵略譚としての怖さがじわじわ攻めくる構成になっています。
(とはいえ、後半、ボアーの基地に突撃をかけるくだりあたりから
急に平板で駆け足な展開となり失速した印象がありますが。)


現代社会における組織悪、企業悪による侵略&人類滅亡。
そういう意味でも、ボアジュースの設定は見事、というしかありません。
「ボアジュースを飲んで海底旅行に行こう」という懸賞で多くの人々を虜にし、
やがてはボア中毒にさせて習慣性を持たせ、最後は体を溶解させる、という
このシチュエーションの怖さは未だに忘れることが出来ません。
あの毒々しい濃緑のボアジュースはかなりのインパクトです。

さて、この映画、現代資本主義(というより、アメリカ型資本主義)への警鐘と
危機感が非常に色濃く描かれているのに注目です。1969年当時、世の良識派は
左右対立の時代、どちらかと言うと心情左翼的な方々が大半を占めており、
資本主義に対する危機感や嫌悪感、対する社会主義、共産主義に対する
共感やシンパシーが非常に強かった時代でもあります。当時の東映もどちらかと言えば
左に向いてる思想の強かった時代でもあり、この映画にもそれは出ています。
テレビ放映でなぜか毎回カットされるシーンがあります。それは
中盤以降、ゆうれい船長と隼人が会話するシーン、

ゆうれい船長「ボアを育てたやつがきっとどこかに居る。そいつをやっつけないと意味がないな。」
隼人「ボアを育てたやつ?」


ここでの会話はこれで終わります。が、10分後に隼人が少女と会話するシーン…

隼人がポケットに入ってたボアジュースの王冠を取り出して、
物思いにふけるシーン。

少女「ボアジュースの蓋じゃない?」
隼人「そうか…わかったぞ!ぼくらがみんなで競って、ボアジュースを
   どんどん飲んでるうちに、ボアはどんどん巨大になっちまったんだ!
   ボアを育てたのは僕たちなんだ!ちっきしょう…。
   ぼくらがこれ(ボアジュース)を放り投げなければ、ボアのようなやつらは
   絶対なくならないんだよ!」

毎回このくだりはバッサリとテレビ放映時にカットされ、ノーカット版のビデオで
ようやく見ることができました。理由はテレビ放映枠の尺数に収めると言う
のもありますが、やはり、何らかの都合のわるい思想をおっぱらってるな、という
印象もございます。だって、ボアジュースの瓶のデザインはまんまアレですし、
最後にゆうれい船が特攻するボアの本拠地は、でっかい星のマークついてるし。
(見ようによっては、五角形に見えなくもない。)こりゃ確信犯かなぁ。
という思想的勘繰りはさておいて、やはりまだ完全に嵐に巻き込まれる前の東映動画、
クオリティは見事です。前年の「太陽の王子ホルスの大冒険」、その翌年の
「長靴をはいた猫」と、傑作を続出していたこの時期の作品だけに
面白さは折り紙つきです。とはいえ、相当条件は厳しかったようで、
セルの枚数や予算は厳しく制限されていたそうです。
使用セル枚数は1万枚までと決められた本作。これがどのくらい厳しいかというと、
「太陽の王子ホルスの大冒険」の使用セル枚数が約15万枚ですから、
上映時間は30分程度しか違わないのにセルは15分の1!しかも、
1分あたりに換算すると、166枚。つまり1秒で2.7枚しかセルが使えない枚数。
これはもうリミテッドもリミテッド。紙芝居です。故に本作はズームやロング、
止め絵を多用して枚数をかせぎ、ここぞという所(ゴーレムの都市襲撃シーン、
幽霊船突撃シーン、ラストの波のシーンなど)
ではふんだんに使用するという
メリハリをつけて、セルの少ないアニメという印象を与えないようにすることに
成功しています。

宣材セル

ここで当時の映画批評をご紹介。
(キネマ旬報・日本映画批評頁より抜粋)

日本映画批評・空飛ぶゆうれい船 森 卓也
東映動画というのは不思議なところで、何かとトラブルの絶えない中から
力作「ホルスの大冒険」を送り出したかと思ったら、この三月には
愛すべき佳作「長靴をはいた猫」を、そしてこの七月には「空飛ぶゆうれい船」の公開である。
長編といっても一時間の小品。おそらくテレビ漫画に毛が生えた程度のものだろう、と例によって短編盛り合わせの
館をのぞいてみると、どっこい意外にこれが見れます。
原作は石森章太郎の初期のまんが「幽霊船」だが、
脚本(辻真先・池田宏)はその骨子を頂いて、新しい味付けをしている。
「幽霊船」は石森の若き日の作品だけに、似たような活劇が反復されたり、構成はやや雑然としているが、
お膳立てがにぎやかだから、アダプトの素材としては格好のものといえよう。
もっとも、その脚本も突如として古屋敷の会談、突如として地下工場への潜入、という展開で、
一見まことに安直だが、これは脚本も、池田宏の演出も、筋立てを刈り込んで、尺数の枠内で見せ場の多いショー映画を
意図したらしく、原作の冒険ロマンティシズムの懐かしい味は薄れたとはいえ、これはこれなりに快調で、
ペースにのせられて結構見てしまう。そうなると、ヒーローの少年隼人の養父母の死にからんで、
「泣き」が入ると言う昨今流行のメソメソ劇画風シークエンスなどは一層目障りで、どうしてこれをさらりと
省略できなかったのか、という気がする。(だから養母の形見のハイヒールのかかとが折れていたはずなのに
後で出てきたときは何ともなってない、というささいなミスまでについ眼がいってしまうのだ。)
人々のゆうれい船への憎しみをあおるために、ロボットゴーレムに「ゆうれい船のつかい」と名乗らせ街を破壊
させ、それとはしらない国防軍と戦わせるという趣向は原作通り(ここで国防軍のタンクが自動車群を踏み潰して
乗り込むショッキングさは見事。)だが、映画は中毒を起こすと体が溶けるボア・ジュースの売り込みなどを絡ませ、
黒汐会長の地下兵器工場や秘密会議の描写など、組織悪に重点を置いている。
「ホルスの大冒険」にさえも渋い顔をした東映の上層部がこれをフリーパスさせたというのはいささか愉快だが、
作者側もさるもの、風刺でござい、というという安直なしたり顔は見せないで、スパイ活劇風のどんでんがえしの
面白さでひたすら押している。巨大なエイの腹にコバンイタダキが吸い付いて横切るショットなど、
なまじ寓意めくとかえってお寒くなるところだ。

計画失敗を知った海底の魔王ボアーは、巨大なロボット蟹で手先の黒汐たちを消す。
蟹に占領された死の街を、運転手が溶けて無人となった国防軍のタンクが一台、進んでいく姿は印象的だ。
これは漫画より、レイ・ハリーハウゼン級のミニチュア合成で見たい風景である。
このあたりから、ゆうれい船対ボアー軍の決戦のクライマックスにかけての演出の追い込みはちょっとしたもので、
撃墜されて海底にひそむゆうれい船の頭上をボアーの鉄球戦闘機群が通過するスリルなど、
定石としての効果をちゃんとあげている。

どちらかといえば学究肌で、短編「もぐらのモトロ(62)」以来泣かず飛ばずだった池田宏しか知らない私などは、
そのツボを得た職人ぶりがいささか信じがたいほどだ。
映画では、あくまでもボアーを黒幕として伏せ、最後まで姿を見せずに気を持たせている。それはいいのだが、
ボアーの正体が巨大なハマグリだったというあのサゲは、仰天すべきか笑うべきか、あれは一体何なんでしょう。
アニメーションの美学や本質論を持ち出せば、この作品はもとより、世の漫画映画のほとんどすべてが
問題外という事になるだろうが、半こども半おとなの私には、(この映画は)けっこうたのしめた。
漫画本は認めても漫画アニメーションとなると、とかく芸術派の風当たりが強いのも不公平甚だしだと思うし、
その私でさえもげんなりする看板倒れの娯楽作品も少なくない昨今、東映動画の好調ぶりは注目していいと思う。
このあたりが最低保証(!)ということで、レベルが安定したら、もう少し点を辛くしましょうか。
(たとえば、声の芝居の一本調子の高調子、あの気恥ずかしさは、もういいかげんに何とかならないものか。)
最後にひとつ。劇中で反復される「ボア・ジュースのTVCM」(昇天するイメージが皮肉である。)は、
実写にしたら面白かったのでは?実写のコマーシャルを漫画の人物が眺める光景は、
漫画映画と現実とのかかわりを明らかにする糸口にもなりうると思うのだが。

東映まんがまつりタイアップポスター

こちらはスタッフの回想録。
(1979年徳間書店発行・東映長編動画アニメ大全集 下巻より抜粋)

社会批判で大騒ぎ(演出・池田宏)
空飛ぶゆうれい船の原作は石森章太郎氏ですが、アニメ化するにあたり、辻真先さんにシナリオ化をお願いしました。
が、出来上がったシナリオはほとんど原作通りでした。私としてはどうも納得がいきませんでした。
原作は素材程度にしか考えていなかったのです。はじめての長編動画を手がけるということもあって、
私も気負いすぎがあったとは思いますが…。
そこで、短編の作り方を採用して、そのまま絵コンテに入ることにしました。
とにかく、劇場用作品として問題意識のある作品にしたいと思いましたから、
主人公の子供を中心にした表の柱だけではだめだとおもいました。また、この子供も少年ですが、
少しずつ変化していく成長していく存在としてとらえたいと考えました。
現実を無批判に受け入れる少年たちの生活を象徴するものとして、ボア・ジュースがあります。
実はこれが大騒動のもとになりました。
のちにこの映画がテレビで放送されることになり、
スポンサーとの関係からジュースのくだりを全部切れということになりました。
私はとうていそんな気になれませんでした。ですから、テレビ放映された分には脚本演出のクレジットから
私の名前は外してもらってるはずです。

世界征服を目論む怪物ボア。日常的レベルではボアジュースに見られるソフトな戦略とコワモテを使い分けてるわけですが、
それがいったい何者か、その正体は?というドンデン、ドンデンで最後はひとつになっていくわけです。
さて、その正体ですが、具体的な絵にしてみせるべきか、見せないほうがいいんじゃないかという意見もありましたが、
いろいろ考えた末、ああいう形になったんです。ある方が「あれは一体何でしょう」と言っていましたが、
(前述の森 卓也氏の事と思われる。)
私にもよくわからないんです。いわば、抽象的な悪のイメージを凝縮したものとでもいえばいいでしょうか。
この作品は全体的に理詰めで、全体的に論理的に構成したものですが、私自身の好みは抒情的で、
おセンチなものなんです。でも考えてみると、「空飛ぶゆうれい船」はよく会社が製作を許可したなぁと思うほど、
内容的にどぎついものがありますし、その表現にマンガ映画らしからぬ過激なものもあります。
もちろん批判精神をこめたものは、先の「太陽の王子・ホルスの大冒険{68}」という傑作がありますが、
あれは内容が大昔の話ということになっていますから、まあちょっと違いますが、
「空飛ぶゆうれい船」における社会批判は、ボアジュースに象徴されるように、
現代資本主義体制のありかたそのものをストレートに突いています。
しかし、こういう作品は難しいところがありまして、あとで会社の幹部のかたに
「自分だけ解かってもいかんな。」とボロクソに言われました。
いまにして思いますと、あのころは社内でもたがいに刺激しあう部分が多く、勉強するにはいい環境だったと思います。
前にもいいましたように、こういう性格の作品は心情的に好きではないので理詰めになってしまうんですね。
画面的に見ればB級路線らしからぬ堂々とした重量感あるいいところがありますが、
これは作画スタッフの力量だと思います。特に「どうぶつ宝島{71}」のときもそうですけど、
宮崎駿氏の画面構成力にはずいぶんと助けられました。
この作品では、迫力ある戦車のシーンと、幽霊船長のシーンが彼の担当だったと思います。
とにかく、「空飛ぶゆうれい船」は製作条件が厳しく、枚数、時間の制限の中で何とか言いたいことを言おうとしたので、
その分テンポが早くなってしまって、前半と後半のバランスが崩れ、
話は解るが結局意図は伝わりきらない恨みが残りました。

残念だった見切り発車(脚本・辻 真先)
この作品は三度目の正直とでも言うべき作品なんです。
芹川さん(演出家・芹川有吾)なんかと組んでいくつか企画を立てては提出して、
ある企画は2稿まで行ったのに中断したりで、なかなか企画が実現しなかったんですが、
最初に製作決定にたどり着いたのがこの作品なんです。原作は石森章太郎氏のものですが、原作どおりというより、
メインの設定を使って脚色と演出で膨らませました。
内容の展開については池田宏さんと私とのあいだに意見の違いがありまして、
出だしから中断くらいまではいい感じに進んでたのですが、最後の3分の1が刀折れ矢尽きてという感じで、
脚本も演出もくたびれ果てて、見切り発車してしまいました。いまだに、そのところはすごく残念な気がします。
時間とお金のことを考えると仕方ないのかもしれませんが、スタッフも一生懸命やっていましたし、惜しいことでした。
あのまま最後まで気を抜かずに押し切れたら、傑作になるだけの条件はあったと思います。
しかし、あとで考えればあれはあれでよかったのかもしれません。
3分の2だけでも見るに耐えるものになったということは、作った側も見た側も覚えているという意味では、
印象に残る作品になったというわけですから。こんどもう一度やる機会があったら、もっとキチンとやりたいと思いますが、
実際にやってみたら、なんてことないのかも知れませんね。

池田さんと初めて組んだのは「ひみつのアッコちゃん」のパイロトフィルムのときだったんですが、
ペースがつかめなくて、だいぶエネルギーロスがあったこともありました。
しかし、空飛ぶゆうれい船のあたまのほうなんか、うまい演出だなぁと思いました。

ホルスで得たド根性(作画監督・小田部羊一)
空飛ぶゆうれい船は私にとって初めての作画監督作品でした。
本当は先輩の大塚康生氏がおやりになる予定でしたが、退社されることになって、結局私にムリヤリ押し付けられる
形になってしまいました。もともと私は手塚系といいますか、石森氏もそうですけど、そういう絵柄は嫌いじゃないので、
抵抗はありませんでした。しかし、劇場用長編アニメとしては、石森氏の絵だけではもたないという思いがあり、
キャラについてはそうとう工夫しました。主役であるゆうれい船についても、手を抜かずにイメージどおりのものに
仕上げようと思い、ほぼ期待通りの重量感のあるものが出来ました。
見た方から「よくもまあ、あすこまでシンドイことを」と言われましたが、
シンドイ思いについては「ホルス(太陽の王子ホルスの大冒険{68})」で充分体験して
アニメに対する自信のようなものがありましたから、どうってことはありませんでした。(中略)

内容的には面白いな、と思いましたがその前にやったら重い作品「ホルス」をやったばかりでしたから、
それに比べるとどうしてもB級意識が抜けませんでした。
しかし、作画的にもB級とは思えないようなシンドイ場面がありましたし、スタッフも一生懸命取り組んだと思います。
そういう意味では「ホルス」があったから、「空飛ぶゆうれい船」が出来たといえるでしょう。(後略)




はじめてみたのはよみうりテレビにおける「夏休みアニメ劇場」枠だったと思います。
映画の尺も1時間以内、子供の好きそうなロボットや怪獣も出てくる
というのがあってか、結構テレビで(よみうりでは)流れてた記憶があります。
もっとも、地方によっては「まるで知らない」という人も多く、
リピートも地方によって相当差異があるようです。
感想は先に述べたとおりですが、見返せば見返すほどに、
「もしこの映画がもう少し尺があり、時間と予算があれば…」とも思うのですが、
当時は映画斜陽期の真っ只中。会社側にもはやそんな余裕はなかったのでしょう。

この後、東映長編動画はさらに過酷な製作条件となっていくのですが…。



おまけ

さて、この映画に登場した破壊メカ・ゴーレムですが、
劇中ではゆうれい船のミサイル一斉掃射&レーザー砲で撃墜されますが
その後国防軍の海底ドックに収容され、その後の消息は
不明になっておりました。黒汐一味はボアーに溶かされちゃったんで、
ゴーレムの使い主は消滅したことになります。
あれ?ゴーレムどうなったんだろう?と思っておりましたら、

機械獣ゴーレム1号機 機械獣ゴーレム2号機


ぬわんと[マジンガーZ]の中で機械獣として
ドクターヘルに買い取られていました。しかもちゃっかり量産型として。
もっとも、「こんなもんではマジンガーに勝てんのじゃ」と、
ヘル自らの手で木っ端微塵に爆破させられてしまいます。
確かにこの武装じゃマジンガーにゃ太刀打ち出来ないか。


空飛ぶゆうれい船 製作スタッフ

製作/大川 博
原作/石森章太郎「幽霊船」より
企画/関政次郎・茂呂清一・旗野義文
脚本/辻 真先・池田 宏
演出/池田 宏
作画監督/小田部羊一
美術/土田 勇
原画/奥山玲子・菊池貞雄・金山通弘・大田朱美・森 英樹・宮崎 駿・阿部 隆
動画/吉田茂承・角田絃一・長谷川玲子・松原明徳・黒澤隆夫・笠井清子・的場茂夫 ほか
製作進行/古沢義男・岸本松司
音楽/小野崎孝輔
テーマ曲/隼人のテーマ(作詞・辻 真先/作曲・小野崎孝輔/唄・泉谷 広・ハニーナイツ)


キャスト

隼人(野沢雅子)
幽霊船長(納屋吾郎)
少女(岡田由紀子)
黒汐会長(田中明夫)
嵐山(名古屋章)
埴輪長官(富田耕生)
黒汐夫人(里見京子)
アナウンサー(野田圭一)
司会(田の中勇)
政府高官(増岡 弘)
ほか


う〜ん。当初今回は3本の映画を特集する予定でしたが、
予想以上に「空飛ぶゆうれい船」が膨らんできて予定量オーバー。
というわけで2回に分けることにしました。
後編は近日公開予定。
「海底 3万マイル」「魔犬ライナー0011発進せよ!」を特集します。




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