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このページでは、旧ドラえもんを製作した動画会社、
日本テレビ動画という会社を検証していきます。
知らない、という人も多いと思いますが、当然かもしれません。
実はこの会社が存続していたのは1年半ほど。三本のテレビアニメシリーズを
製作したのみで解散、消滅した会社です。
もっとも、この日本テレビ動画という会社は、
幾つもの紆余曲折の末に産まれた会社で、
その歴史を紐解くと、様々なことが解ってきました。
では、その誕生から発展、消滅までの軌跡を辿って行きましょう。

日本TVアニメ黎明期(1963〜1965)
まず、話は1963年(昭和38年)、
日本初の連続30分アニメーション番組「鉄腕アトム」が放送され、
大ヒットを飛ばしたところまで遡ります。
このアトムのヒットに度肝を抜かれた各テレビ局は、ならばウチも、とばかりに
各アニメーション製作会社にTVアニメの製作を次々依頼します。
「アトム」を放映していたフジテレビはCMアニメを製作していたTCJ
(現・エイケン)「仙人部落」「鉄人28号」
発足したばかりのピープロには「0戦はやと」「ハリスの旋風」を、
子供番組に力を入れていたNET(現・テレビ朝日)は東映動画と契約して
「狼少年ケン」「少年忍者 風のフジ丸」を、
TBSは同じくTCJに「エイトマン」「スーパージェッター」
更には人形劇の製作会社、東京人形シネマに強引にアニメを作らせて、
「ビッグX」を。(のちにこの会社は東京ムービーになる。)という狂乱振り。
アトムから2年もしないうちにあっという間にTVはアニメの巣窟と化してしまいました。
視聴率はもちろん関連商品も大ヒット。
一時は「漫画が付かなきゃ商品が売れない」と関係者に言わせしめるほどの大反響。
まだTVアニメが珍しい、黎明期ゆえの話であります。
さて、民放各局が国産アニメを次々放送しているこの時期、
なぜか一局だけ国産アニメを流さない局がありました。民放の老舗・日本テレビです。
詳細は不明ですが、 日本テレビはこの時期「ディズニーランド」という番組をもっており、
隔週でウォルト・ディズニーの短編アニメを放送していました。
知名度も完成度も圧倒的に優位なディズニー作品を流しておけば、稚拙な国産アニメに頼らざるとも、
という考えがあったのかも知れません。
しかし、状況は一変します。アトム放映から2年もすると国産アニメの人気は沸騰。
常時30〜40%の視聴率を稼ぎ出し、子供の話題を独占。
それに引き換え、「ポパイ」「ウッドペッカー」といった、それまで放送されていた外国アニメが
この時期各局から一斉に姿を消します。当時の子供たちのニーズは
「雑誌でみた漫画がテレビで動いてる」国産アニメに集中していたのです。
(加えて、輸入アニメは高額だったという事もありますが。)
ここにきて日本テレビはようやく国産アニメの放送に乗り出そうとしますが、
主なアニメ製作プロは既に他局に抑えられており、
日本テレビの入り込む余地は残っていなかったのです。


誕生期・「日本放送映画株式会社」(1965〜1968)
丁度時を同じくして、実写映画を製作していた映画会社「国映」が
自社の出資で動画会社を設立。「日本放送映画株式会社」
(以下、日放映と略)が誕生します。(1965)日本テレビはこれ幸いと専属契約を結び、
日放映は日本テレビ専属の動画会社としてスタートします。
当時はアニメーターの絶対数の足りない時代でもあり、日放映も人材が不足しており、
まずはスタッフ集めからという有様でした。
結果として他社から人材の協力を要請することになり、
新倉雅美氏を中心に、虫プロからは池野文雄・富野喜幸・岡迫亘弘・
正延宏三・村野守美
氏らが加わり、そこに東映動画からの
アニメーターも参加して体制を整え、同年12月に初のTVアニメ「戦え!オスパー」
製作、放映するに至ります。

戦え!オスパー1965年12月14日〜1967年10月31日・全53話
(1966.12.3〜1967.10.24は2〜46・50・52話の順不同の再放送。)

戦え!オスパー オープニングタイトル 戦え!オスパー 

あらすじ…遥かなる太古、海底深く沈んだムー大陸に今尚生息する民族がいた。
彼らの名はムー人類。いつの日にか地上に帰る日を夢見つつ、
海底の特殊ドーム内で生き続けていた。
しかし、ある日、荒くれ者の超能力者ドロメがドームを破壊し地上に強引に脱出。
命の綱であるドームを壊され絶滅に瀕するムー人たちは、
ドロメを滅ぼすべく正義の超能力少年オスパーを地上に派遣した。
地上人の海津長官と、ロバート、グレコ、パンチョスら特殊部隊チームと
手を握ったオスパーは正義の超能力でドロメと激闘を繰り広げるのだった。
スタッフ
原作/山野浩一(週刊少年キング連載「電光オスパー」より)
製作/矢元照雄
プロデューサー/新倉雅美
演出/新倉雅美・富野喜幸・岡迫亘弘・正延宏三・池羽厚生ほか
原動画/村野守美・菊地城二・池野文雄・岡迫亘弘・木下敏雄ほか
脚本/山野浩一・永島 輝ほか

音楽/富田 勲
OP/戦え!オスパー(作詞・寺山修司 作曲・富田 勲 /唄・山田太郎)
キャスト
オスパー(山本圭子)
ドロメ(阿部 良)
ユミ(珠めぐみ)
海津長官(家弓家正)
ほか

作品解説
日本テレビ初の自局発信国産アニメ第1号。
原作は山野浩一氏が週刊少年キングに連載していた「電光オスパー」で、
アニメ化に際して「戦え!オスパー」と変更された。
超能力の映像化という非常に困難な題材に挑んだ意欲作でもあり、
念動力やテレパシーの表現には電撃のような描写を用いて視覚的に表現していた。
途中スタッフに変動があったこともあって、1〜52話まで放送したのち、
もう一度47話分の順不同再放送を挟んだのちに最終回の53話が放送された。
日放映唯一の30分番組。

オスパーの放映は好評を得て、再放送を挟み込みながら二年続きました。
日本テレビとの関係をさらに強化すべく、第二作目は夕方の帯アニメを
任されることになります。
しかも日本テレビの人気番組「おはよう!こどもショー」とのコラボレーションアニメです。

とびだせ!バッチリ1966年11月14日〜1967年4月15日・全132話
(1967.4.17〜9.16に全話再放送)

とびだせ!バッチリオープニングタイトル とびだせ!バッチリ 

あらすじ…探偵事務所に勤める少年探偵バッチリくんはまだ子供ながら
頭の冴えは天下一品。事件が起こると大きな耳が反応し、
ロバくんやオウムのベン公とともにスーパーポンコツカーで現場に直行。
ヘマばかりするチビス警部に邪魔されたりするが、今日も元気なバッチリくん。
宇宙人や誘拐犯といった難敵も何するものぞと、街中の事件を解決していくのだった。
スタッフ
原作/岡本光輝
製作/矢元照雄
監修/新倉雅美
演出/バッチリグループ(片岡忠三ほか)
原動画/バッチリグループ(岡本光輝ほか)
脚本構成/成橋 均(鈴木良武ほか)

音楽/宮内国郎
OP/とびだせ!バッチリ(作詞・西田 一 作曲・宮内国郎 /唄・加藤みどり)
キャスト
バッチリ(白川澄子)
ロバくん・チビス警部(愛川欽也)
ベン公(加藤みどり)
ガッポリ社長(八奈見乗児)
ほか

作品解説
日放映製作の帯アニメ。
「ジャングル大帝(新シリーズ含む)」、
「がんばれ!マリンキッド」に継ぐ日本で三番目のカラーTVアニメ。
日本テレビが当時放映していた朝の子供向けバラエティー「おはよう!子どもショー」の
関連番組として製作された番組でもあり、
故に番組中に「おはよう!子どもショー」のマスコットのロバくんもアニメで登場し、
声も実際のものと同じ愛川欽也がアテている。
本来の放送時間は夕方だが、「おはよう!子どもショー」の枠内でも放送されていた。

とびだせ!バッチリは日本テレビ帯アニメの時間帯の足場を固める事に成功し、
以降この時間帯(月曜〜土曜18:35〜18:45)は長きにわたって
帯アニメの時間帯として認知されます。
バッチリの放送後、矢継ぎ早に登場したのがこちら。

冒険少年シャダー1967年9月18日〜1968年3月16日・全156話
(1968.3.18〜9.28に全話再放送)

冒険少年シャダー オープニングタイトル 冒険少年シャダー 

あらすじ…富士山の洞窟に眠る伝説の少年勇者が
ある日突然甦った。少年の名はシャダー。
人間の数倍強い筋肉と運動能力、反射神経、
さらに自らを数人に分身させて戦うという
「超ブランチ能力」を備えた不思議な少年だった。
シャダーは現代の科学者を味方につけ、
愛犬ピンボケとともに、世界征服を目論む
謎の怪人ゴースターと戦いを繰り広げる。

スタッフ
原作/岡本光輝
製作/矢元照雄
演出/シャダーグループ(片岡忠三ほか)
作画/桑原信一・西城隆詞ほか
脚本/辻 真先ほか

オーデオ(音楽)/増田豊利
OP/冒険少年シャダー(作詞・寺山修司 作曲・増田豊利 歌・鈴木 忠 CAポップス)

キャスト
シャダー(北条美都留)
ロコ(白川澄子)
ゴースター(内海賢二)
ほか

作品解説
日放映帯アニメ第二弾。
当時主流だった少年ヒーローものの一種でシャダーと
宿敵ゴースターとの戦いを1週間6話構成で描いたもの。
エピソードが盛り上がるのは週末と
相場が決まっていて,シャダーも勝利するのは土曜日と決まっていた。
本作品を最後に日放映は解散。

本作品を最後に日本放送映画は4年という短い生涯を閉じ、解散します。
が、日放映の製作デスクでもあった新倉雅美(のちの「渡邊 清」)氏が、
出資元でもあった国映の傘下を離れて独立。元日放映のメンバーを再結集する形で、
新たなる製作会社「東京テレビ動画」を立ち上げます。


転換期「東京テレビ動画」(1968〜1971)
先の帯アニメの時間帯をそのまま引き継ぐ形で
東京テレビ動画第一作「夕焼け番長」はスタートします。
原作者・梶原一騎を招いての製作発表を行ったりと、
かなり局側も力を入れてくれていた事がわかります。
東京テレビ動画になってからの路線はズバリ「根性物」。
TVシリーズ四作品全てが「巨人の星」のヒット期の時流にのった根性物で
くくられている事がわかります。日本テレビ側のプロデューサーである藤井賢祐氏が
この手の路線が好きで、製作プロに「根性物を!」と要請したのかも知れませんが。

夕焼け番長1968年9月30日〜1969年3月29日・全156話
(1969.3.31〜9.27に全話再放送。)

夕焼け番長オープニングタイトル 赤城忠治 

あらすじ…悪名高いワルの学校・木曾中学に突如転向してきた
豪放磊落な快男児・赤城忠治はチビだがケンカには滅法強い。
ある日、忠治は同級生の「インテリ」・青木昭一と「マドンナ」・水野江洋子から、
学園に巣くうガン・「番長連合」の退治を依頼される。
一度はこの誘いを断る忠治だが、卑劣な番長連合の横暴ぶりについに怒りを爆発させる。が、
番長連合は卑怯な手段で次々と忠治に罠をしかける。
純粋な心をもつ忠治に、それは余りに酷な攻撃だった。
都会の汚れた空気と人間模様の下で、赤城忠治はどう切りぬけていくのか?
スタッフ
原作/梶原一騎・荘司としお
企画/藤井賢祐
プロデューサー/上野 徹・岩田 弘
監督/新倉雅美(前期)・富野喜幸(後期)
作画チーフ/木下蓮三(前期)・岡迫亘弘(後期)
作画/岡本良雄・野島 進
編集/沢村公子
脚本/吉田喜昭・雪室俊一ほか

音楽/宮崎 章・増田豊利
OP/夕焼け番長(作詞・小園江圭子 作曲・宮崎 章 /唄・加藤みどり)
キャスト
赤城忠治(加藤みどり)
インテリ(小宮山 清)
洋子(渡辺和子)
(堀 絢子)(肝付兼太)
ほか

作品解説
東京テレビ動画製作作品第一作。
原作は梶原一騎・荘司としお両氏が秋田書店の月刊雑誌 「冒険王」に連載していた少年漫画。
アニメーターの木下蓮三氏が監督、作画監督、キャラデザインの三役をこなす活躍をしていたものの、
途中で降板。中盤以降は演出助手を担当していた富野喜幸が
代行で監督を担当することとなった。

第1回作品「夕焼け番長」は時流にも乗りヒット。
半年間の本放送&半年間の再放送で一年を消化し
(この放映スタイルは東京テレビ動画作品の基本型になる。)
次作「男一匹ガキ大将」へと引き継がれます。

男一匹ガキ大将1969年9月29日〜1970年3月28日・全156話

男一匹ガキ大将オープニングタイトル 戸川万吉 

あらすじ…型にはまらぬデッカイ男・戸川万吉は西海中学のガキ大将。
ケンカは連戦連勝で、1人で180人相手のケンカをし、倒したほどの猛者である。
気が付けば子分は関西に1000人。
しかし、万吉は「もっとでっかいことをやりたい!」と新天地・東京へ向かう。
日本政財界の実力者・水戸のオババや全日本浮浪者の総大将・
カスミの大三郎との出会い、そして社会にひそむ悪の黒幕や横暴な
国家権力に万吉は出会うことになる。余りに巨大な敵に立ち向かう為、
万吉は立身出世を決意。力と金をもぎ取ることで、
万吉は巨大な闇に立ち向かってゆくのだった。
スタッフ
原作/本宮ひろ志
企画/藤井賢祐
プロデューサー/三島宏夫・高橋修之
演出/若林忠雄ほか
作画監督/金沢比呂司・山崎隆生・坂本次男
脚本/山崎忠昭・吉田 進・雪室俊一ほか

音楽/小山恭弘
OP/男一匹ガキ大将(作詞・森本浩史 作曲・広瀬健次郎 /唄・宍倉正信)
キャスト
戸川万吉(富山 敬)
(武藤礼子)
(野沢雅子)
(雨森雅司)
(青野 武)
ほか

作品解説
原作は創刊間も無い週刊少年ジャンプに連載されていた
本宮ひろ志の出世作。夕焼け〜の後を受け継ぐ形で放送されている。
内容は原作に忠実なものであった。

順調に製作を続けていく東京テレビ動画ですが、ついにここで
ゴールデンタイムの30分番組を任せられます。
メキシコ五輪で銀メダルに輝き、一時沸騰したサッカー人気に
乗っかって、梶原一騎の原作を元に製作されたのがこのアニメ。
もとは南浦和高校サッカー部の実話をモデルに作られた熱血漫画です。

赤き血のイレブン1970年4月13日〜1971年4月5日・全52話

赤き血のイレブンオープニングタイトル 玉井真吾 

あらすじ…新生高校に入学してきた玉井真吾は、
サッカー部の顧問として転任してきた日本サッカー界屈指の名キーパー・
松木天平と対立。「てめぇはオレの敵だ!
おめえのサッカー部なんぞにゃ入部するもんか!」と、
松木に反感を持つ滝らと共に「第二サッカー部」を立ち上げ、
松木の第一サッカー部に挑戦する。初戦こそ圧勝した第二サッカー部だが、
松木の合理的指導によって腕を上げた第一サッカー部は、
再戦で第二を完膚無きまでに打ちのめす。これに真吾は敗北を認め、
松木と共に熱き血潮をサッカーに燃やすと宣言。
ここに新生高校サッカー部の「赤き血のイレブン」が誕生、
日本高校サッカー界に一大旋風を巻き起こす。
スタッフ
原作/梶原一騎・園田光慶
総監督/山田 健(前期)・岡迫亘弘(中期以降)
総作画監督/岡迫亘弘
作画監督/金沢比呂司・山崎隆生・坂本次男
演出助手/岡迫亘弘・富野喜幸・腰 繁男ほか
脚本/伊東恒久・鈴木良武・山崎忠昭ほか

音楽/大沢保郎
OP/赤き血のイレブン(作詞・梶原一騎 作曲・大沢保郎 /唄・フォー・メイツ)
ED/わが友 玉井真吾(作詞・梶原一騎 作曲・大沢保郎 /唄・フォー・メイツ)
キャスト
玉井真吾(田中亮一)
松木天平(納谷六郎)
滝 隼人(兼本新吾)
上岡 剛(村越伊知郎)
黒豹(鈴木弘子・森 秋子)
コーチ八重島(市川 治)ほか

作品解説
原作は少年キングに連載されていた同名漫画。
南浦和高校サッカー部をモデルに梶原一騎が創作した作品であり、
主人公玉井真吾のモデルは元・古河鐵工の名プレーヤー・永井良和である。
当初は原作どおり進行していたが、4クール以降はアニメオリジナルの展開となり、
ブラジルJrチームと日本Jrチームとの死闘が描かれていく。

男どアホウ!甲子園1970年9月28日〜1971年3月27日・全156話

男どアホウ!甲子園オープニングタイトル 藤村甲子園 

あらすじ…野球どアホウの祖父に強引に「甲子園」と名づけられた少年、藤村甲子園は
名前にたがわぬ野球どアホウに成長、高校野球の名門・明和学園に入学しようと挑むが
試験に落ち、無試験で行ける最低最悪のど腐れ高校との悪名高い南波高校に行くハメに。
通学初日に偶然出会ったキャッチャー志望の豆タンと出会い、高校野球に夢を馳せる甲子園。
が、南波高校野球部は八百長野球で銭儲けをする事が目的のど腐れ野球部。
本当の野球などトンでもないと嘲笑される。さらにヤクザの後継ぎで
南波高校の番長・左文字に目をつけられた甲子園。波乱の幕が上がった。
スタッフ
原作/佐々木守・水島慎司
企画/藤井賢祐
プロデューサー/高橋修之・朝香正則
作画監修・キャラクター/村田四郎
演出/野々あきら
脚本/田村多津夫・山崎忠昭・井上知士・吉田喜昭・雪室俊一ほか

音楽/土持城夫
OP/男どアホウ!甲子園(作詞・佐々木 守 作曲・土持城夫 /唄・フォースラッガーズ
キャスト
藤村甲子園(井上真樹夫)
甲子園の祖父(雨森雅司)
豆タン(小宮山 清)
左文字(小林清志)
(森 功生)(鬼頭 哲)(沢田和子)ほか

作品解説
原作は佐々木守・水島慎二の同名漫画。週刊少年サンデーに長期連載された野球漫画である。
原作が進行中でもあったため、アニメでは序盤、高校一年の部分で終っており、
盛り上がる手前で終了した感が強い。
また、原作の佐々木守氏は脚本には参加していない。

本作品ではキャラクターが皆、関西弁で喋るのが特徴だったが、
製作側の重役が「関西弁の吹き替えがヘタ。
伝わりにくいから標準語に変えろ」と厳命し、
脚本家の反対にもかかわらず突然キャスト全員が標準語に変えられてしまった、という事件がある。
脚本家・雪室俊一が「それならタイトルをいっそ「男大バカ後楽園」とでもしろ!」と
怒って番組を降りたという逸話もある。
が、結果、当然と言うか、標準語に変えた途端視聴者から抗議が殺到。
すぐに元の関西弁に戻してしまった、というなんともお粗末な結末が待っていた。

この作品の後、東京テレビ動画は転機にさしかかります。
虫プロと組んで大人向けアニメ「アニメラマ」で実績を上げた
名古屋の配給会社「日本ヘラルド」が、諸事情でアニメラマから
手を引いた虫プロに代わって「劇場用ポルノアニメを作らないか?」
と、東京テレビ動画に依頼。
異色のポルノアニメ企画がここに誕生したのです。その名も

ヤスジのポルノラマ・やっちまえ!1971年9月24日全国東急系封切・ワイド・フジカラー 101分

やっちまえ!公開時チラシ(資料提供・T氏)


やっちまえ!スチール1



やっちまえ!スチール2

あらすじ…ブス夫はいまだチョンガー(独身男)である。
金もなく、モテずのブス夫は、性の飢餓で悶々とした日々を送っている。
今日も、下宿のオバさんにブス夫はどやされた。たまりかねて彼は風呂に行く。
番台にいるのはテッキリ、バアさんと思っていたブス夫。
ところが番台に座っていたのはボインのかわいこちゃんであった。サァあせったブス夫。
下着は汚れたまま、身体にはノミに喰われた後がビッシリ。
何んだかんだと理由をつけて帰ろうとするブス夫。そうはさせじとする娘。
数日後、ブス夫は、ある自動車メーカーに職を得た。
そこでも彼は仕事なんぞそっちのけ、女、女と探しまわる。
そんな彼にも幸運の女神がほほ笑んだ。
やっとのことで見つけた相手はユキ子というカワイコちゃん。
しかし、ユキ子にはエリート課長が目をつけていて、
うらぶれ果てたブス夫に、ユキ子はなびいてくれない。
彼はユキ子の気持を引くために、欲求不満の女たちを相手に車を売りまくる。
己の下半身を最大限に利用し、セックスセールスマンと化すブス夫。
売上が伸び、成績を上げたブス夫にユキ子の心もにわかに傾き始める。
さて、なんやかんやあって(最終的には包丁で脅して)晴れてめでたく
婚約のはこびとなった。そしてやっとのことでホテルにたどりつき、
バラ色の初夜がきた。しかし、ホテルでバッタリ出会った昔の悪友。
ブス夫が待ちに待った初夜だというのに、結局マージャンにつき合わされた。
その間、新妻ユキ子は窓から飛び込んできたムジ鳥に犯された。
結婚五日目に、ユキ子はムジ鳥との間に出来た奇形児ムジ夫を生んだ。
このムジ夫、生まれたその日に女を犯してしまうすさまじさ。
それからというものブス夫にとって混迷と地獄の日々が続いた。
毎晩、ムジ夫はポルノ雑誌を読みふけり、
となりのヤル子ちゃんとアクロバティックなセックスを公開する。
それを見ていたブス夫、自信をなくし、遂にインポにおちいった。
その上、彼が病院に通っている間、ユキ子とオヤジは姦通したのである。
オヤジはユキ子の上で腹上死。その惨状をみて遂に狂ったブス夫。
オヤジ愛好の関孫六(日本刀)をひきぬき、
女房のユキ子をケサガケに斬り倒す。すべてを失ったブス夫は完全に発狂。
人間社会から逃げるようにして動物園に向った。
ゴリラのオリの前に立ったブス夫は、メスゴリラに誘われるように入っていった。
そこで彼は、メスゴリラと至福の交合をして、自らの腹をかっさばいた。
薄れ行く意識の中、ブス夫の脳裏には走馬灯の様にかつての独身時代が甦る。
やはり、結婚は諺通り"人生の墓場"だったのだろう。ブス夫にとっては……。
スタッフ
原作漫画/谷岡ヤスジ
製作指揮/渡辺 清
企画/吉沢京夫・土橋寿男
演出/三輪考輝・高桑慎一郎
脚本/吉田喜昭
作画監督/鈴木 満
美術監督/梅野紀一・半藤克美
録音/森 武
編集/石村武朗
効果/大野美信
撮影監督/森泉正美
音楽/橋場清
主題歌/ドバ・ドバ・ソング(作詞・島村葉二/作曲・橋場清/
 浪曲部担当・沢田敏子/曲師・吉野静/唄・ザ・ラニアルズ)
ロンリーブルース
(作詞・島村葉二/作曲・橋場清/唄・杉かおる)
ワイド・フジカラー・5巻 2767m
上映時間1時間41分
キャスト
ブス夫…鈴木やすし
ユキ子…鈴木弘子
ムジ鳥&ムジ夫…南利明
ブス夫のオヤジ…雨森雅司
社長…コロムビア・トップ
課長…大塚周夫
ほか

ここで当時のキネマ旬報で特集された記事を紹介。
「ヤスジのポルノラマ・やっちまえ!」

「鼻血ブー」「オラオラオラ」「ン?」「アサー」などの
エキセントリックな 現代流行語を生んだ谷岡ヤスジのマンガが、
カラー・ワイド版の アニメーションになる。
おなじみ「鼻血ブー」の、現代の狂燥的セックス 乱戦時代を象徴する盛大な鼻血の噴出を、
カラー・ワイドの画面に 色鮮やかにぶちまけようというポルノ・アニメである。

虫プロと提携して「千夜一夜物語」「クレオパトラ」の二本のエロチシズム・アニメを 作った
日本ヘラルド映画が、今度は「赤き血のイレブン」「男一匹ガキ大将」「夕焼け番長」「シートン動物記」
などのTV動画でおなじみの東京テレビ動画と組んで
さらにテーマをポルノ的表現にまで発展させようという作戦。
これに東急系が興行の場を提供し、異色の企画が日の目をみた。
ヤスジ・マンガのモーレツなセックスへの好奇心をズバリ色付きでアニメにして、
まだ劇映画では制約の多いエロチシズム表現に、アニメなりゃこその自由な 実験をやってみようという、
天晴れな野心といえよう。 約一時間四〇分の長さで完成する見込みの作品は
第一章「私生活」第二章「経験」第三章「めまい」に別れ、
それぞれ辺見マリの同名のヒットメロディーが画面の中を流れ、
ポルノ場面のムード音楽として重要な役割を果す。 他にザ・ラニアルズの「ドバ・ドバ・ソング」と、
杉ひろこ(誤植?)の「ロンリーブルース」という主題歌付き。
プス夫と命名された主人公はその声を鈴木やすしが担当。
他には鈴木弘子、南利明、コロムビア・トップ、桜京美・関敬六などが 声の出演をしている。(中略)

製作現場2



「日本的セックス表現は、今まであまりにも陰湿な、人間の影の部分の 表現でありすぎたと思う。
この映画では谷岡ヤスジ・マンガのスピリットに のっとって、
スポーツ的なポルノ表現を明るく打ち出してみたいと思うのです」 と、いうのが、スタッフの弁。

東京テレビ動画は、社員数総勢110人。社長が32歳で、
新潟アニメ製作スタジオで働く現場スタッフの平均年齢は21歳という 若い会社である。
高校や大学を出たばかりの女性が中心の現場スタッフが ポルノ・シーンを
「このシーンの形と色はこれでいいのかしら?」などと ディスカッションしながら作っていく有様は、
かなりの壮観であったらしい。

「ムジ鳥とは不条理の鳥である」とか
「三島由紀夫のイメージを ヤスジのイメージで打ち破ってみよう」とか、
興味津々の議論も百出し、
セル四万枚、日数七ヶ月、制作費七千万円、のべ二万人の人手を費やした
「やっちまえ!」の製作プロセスは、それ自体が一篇のドラマのように白熱化 したものだったという。
具体的なアニメ作りはまず、ヤスジの原画の中から映画的イメージを 触発させる絵を切りぬいて、
ズラリと並べる所からスタートした。 そして若いスタッフがよってたかってそれを分解し、
再構成し、 部分的なコンテを作り、そこから全体の構想を膨らませていった。
「だから、この映画は一種のハプニング的ポルノ・アニメだとも 言えるんです」とスタッフは言う。
ラッシュ・フィルムを見た原作者 谷岡ヤスジは、
「へぇ、奇想天外に動きますねぇ。僕自身が作品を描いているときは
随分画面の飛躍と動きを意識しているつもりですけど、映画になってみると 予想外の
効果が出てくる。それに映画になると一段とエロですねぇ。」 という感想をもらしている。(中略)

ヤスジ漫画が現代人に爆発的な人気を博した原因は 何と言っても、
女とみたら間髪おかず挑みかかるという、その セックスに対する驚異的な実行主義が、
現代人の内部に蓄積した フラストレーションを吹き飛ばす痛快さにあるが、
この上は ポルノ解禁の夢を託した大画面でのヤスジ漫画のキャラクターたちの
破天荒な活躍を期待したい。

しかし結果的に興行は大失敗。
当時の映画評でも酷評され、不入り故に一週間で公開打ち切り。
「ポルノなら何でも当る」と言われてたこの時期に上映打ち切りというのは
前代未聞でしょう。当然ながらこれに製作機構の全てを傾けていた
東京テレビ動画の基盤は一気にガタガタになりました。
そして、東京テレビ動画という会社は消滅します。


再出発・終焉「日本テレビ動画」(1972〜1973)

ヤスジ〜の大失敗から半年、東京テレビ動画のスタッフは再起をかけて
社名も新たに「日本テレビ動画」(N・T・A)を立ち上げます。
それまで専属的に仕事をしていた日本テレビを離れ、
新たな舞台、TBSでの仕事を開始します。

アニメドキュメント・ミュンヘンへの道1972年4月23日〜1972年8月20日・全17話
           (1972年9月24日に特番放送。これを18話と数える事も出来る。)

ミュンヘンへの道オープニングタイトル ミュンヘンへの道 

あらすじ…4年に一度の民族の祭典オリンピック。
72年8月より開催されるミュンヘンオリンピックにむけ、
松平監督率いる全日本男子バレーボールチームが合宿に入った。
東京の銅メダル、メキシコの銀メダル、
そしてミュンヘンでは最後の総仕上げ、金メダルを獲得すべく、
猛烈なる特訓が繰り広げられる。
監督、コーチ、トレーナー、そして選手。一人ひとりがミュンヘンにかける熱い思い。
その裏にはそれぞれのドラマが隠されていた…。
スタッフ
プロデューサー/吉沢京夫
製作主任/岩田憲司
作画監修/矢沢則夫(J・A・B)
作画監督/矢沢則夫・金沢比呂司ほか
原画/正延宏二・山崎隆夫・大坂竹志ほか
動画/鈴木 満・藤巻隆一ほか
脚本/竹内泰之・辻 真先・吉原幸栄ほか
コンテ/出崎 哲
アニメーション撮影/吉田亨司
アニメーション演出/吉川惣司ほか
演出助手/腰 繁男ほか
ドキュメント撮影/有吉英敏
監督/大隈正秋

音楽/渡辺岳夫
OP/ミュンヘンへの道(作詞・阿久 悠 作曲・渡辺岳夫 /唄・ハニー・ナイツ)
キャスト
(小林昭二)(青野 武)(寺島幹夫)(兼本新吾)(納谷六郎)(平井道子)
(島田 彰)(江角英明)(峰 恵研)(大塚雅子)ほか

作品解説
新潟に本拠を構える形で設立された日本テレビ動画第1作。
ミュンヘンオリンピック開催に合わせる形で製作され、
チームメンバーのエピソードを毎回一人ずつ映像化して放送する、という内容。
選手が実写で登場するとアマチュア規定にひっかかってしまうため、
メンバーの登場部分はアニメ、全体の練習風景(ロングで撮影すれば顔が解らない為)は
実写で、と言う風に場面によって切り替えている。
放映終了後、日本が金メダルを取ったのを記念して、
監督がこれまでのエピソードを振り返る特別版が1本追加製作され、放送されている。

モンシェリCoCo1972年8月27日〜1972年11月26日・全13話

モンシェリCoCoオープニングタイトル モンシェリCoCo 

あらすじ…フランス人と日本人の混血児・ココはツギハギだらけの服をきた変わった子。
ファッションの都でもありあり、流行の最先端を行くパリにココはいた。
カメラマンのジェロームに付いて高名な名デザイナー・マダムエルのショーをみたココは
その堅っくるしさに辟易し、飛び込みで我流のファッションを披露。
結果ショーを台無しにしてしまった。が、
ココに非凡な才能を見出したファッション雑誌の編集長マダム・シェリルは、
ココに支援を約束する。
スタッフ
原作/大和由紀
プロデューサー/渡邊 清
構成/稗田 純
製作主任/下崎 潤
進行/伊東幸松ほか
プロデューサー補/佐々木一雄・白畠豊彦
作画監督/菊田 武ほか
美術監督/井岡雅宏
音響監督/浦上靖夫
撮影監督/菅谷正明
演出/正延宏二・富野喜幸ほか
原画/スタジオルック ほか
脚本/吉原幸栄・斎藤次郎 ほか
ファッション協力(美術協力)/川村 都
製作協力/スタジオテイク ほか

音楽/大柿 隆
OP/モンシェリCoCo(作詞・有馬三恵子 作曲・川口 真 /唄・中島まゆみ)
キャスト
ココ(広沢あけみ)
(森 功生)(つかせのりこ)(富田耕生)(北浜晴子)
(北川国彦)(山田俊司)(矢田耕司)(吉田理保子)>ほか

作品解説
週刊少女フレンドに連載していた大和和紀のファッション漫画をアニメ化。
それまでの少女向けアニメとは異なり、
職業にファッションデザイナーという概念を持ち込んだことは斬新であり、芸能界の苦闘を描いた
「さすらいの太陽」(1971.虫プロ)と同じく、職業サクセスストーリー少女アニメの先駆けとも言える。
ただ、やはりまだ早すぎた感は否めないようで、1クールで終了。
作画も大和和紀の原作のラインを表現したとは言い難い。
ちなみに裏番組は「ムーミン」(フジ)
「超人バロム・1」(日本)
「歌のグランドステージ」(NHK)という顔ぶれ。

TVガイド第一話記事  TVガイド新番組記事

この作品を最後にTBSを離れた日本テレビ動画は
古巣とも言える日本テレビでドラえもんのアニメ製作に携わります。
アニメ化決定は昭和47年夏ごろで、当初の予定では
当時放送中だった「新オバケのQ太郎」の後番組として
考えられていたようです。それ故、当初は東京ムービーが
ドラえもんをその流れで製作する可能性もあったのですが
当時の東京ムービーの製作本数の多さに伴うスタッフ調整の難しさか
それとも条件面で折り合わなかったか、解りませんが
日本テレビ動画がドラえもんの製作担当にあたります。
スタッフはモンシェリ〜のメンバーのほか、
「新オバQ」に携わっていた演出家やライターが参加、
声優陣も「新オバQ」からスライドした面々が目立ちます。
同じ藤子アニメとしてイメージを統一する、という
局の意向が働いたためでしょうか?とにもかくにも
昭和48年4月1日、ドラえもんはアニメとなって日曜夜七時に登場します。
ドラえもん1973年4月1日〜1973年9月30日・全26回・52話

ドラえもんオープニングタイトル ドラえもん 

あらすじ…小学生の男の子、野比のび太は勉強もスポーツもニガ手なダメな子供。
そんなのび太の元にのび太の子孫を名乗るセワシという少年が現れた。
彼はダメなご先祖様であるのび太を何とか助けようと、
未来のネコ型ロボットドラえもんをのび太の世話役に着かせる。
ドラえもんのお腹には未来の秘密兵器が沢山入っており、
様々な兵器でのび太を助けようとする。
が、実はドラえもん自体、出来の悪い特売品だった。
スタッフ
原作/藤子不二雄
企画/藤井賢祐(日本テレビ)
プロデューサー/佐々木一雄
チーフディレクター/上梨満雄
製作主任/下崎 潤
進行/木沢富士夫・増田厚美ほか
文芸/徳丸正夫
作画監督/鈴木 満・村田四郎・宇田川一彦・生頼昭憲・白川忠志 ほか
美術監督/鈴木森繁・川本征平
音響監督/近藤啓祐
撮影監督/菅谷信行・菅谷正明
演出/岡迫和之・腰 繁男・吉川惣司ほか
コンテ/生頼昭憲・奥田誠二・棚橋一徳・矢沢則夫 ほか
脚本/鈴木良武・山崎晴哉・井上知士・吉原幸栄 ほか
原画/日本テレビ動画新潟スタジオ・スタジオジョークほか
製作協力/スタジオジョーク・スタジオ古留美 ほか

音楽/越部信義
OP/ドラえもん(作詞・藤子不二雄 作曲・越部信義/唄・内藤はるみ&劇団NLT)
ED/ドラえもんのルンバ(作詞・横山陽一 作曲・越部信義/唄・内藤はるみ)
キャスト
ドラえもん(富田耕生・後に野沢雅子)
のび太(太田淑子)
セワシ(山本圭子)
静香(恵比寿まさ子)
ジャイアン(肝付兼太)
スネ夫(八代 駿)
ガチャ子(堀 絢子)
パパ(村越伊知郎)
ママ(小原乃梨子)
スネ夫のママ(高橋和枝)
スネ夫のパパ(加藤 治)
我成先生(加藤 治・後に雨森雅司)
(神谷 明)(兼本新吾)(吉田理保子)(永井一郎)
(つかせのり子)(加茂嘉久)(水鳥鉄夫)(山下敬介)
(八奈見乗児)(田中亮一)(はせさん治)(青二プロダクション)ほか

作品解説
原作は小学館学習雑誌において藤子不二雄が連載していた同名漫画。
70年代のオバQと前評判も高かったこの作品を日本テレビ動画がアニメ化。
当時は原作のストックが足りず、後半はオリジナルエピソードが多くなり、
結果原作と異なるイメージも出来てしまったようである。
またドラえもん自身の知名度も低かった上に、(学年誌は対象学年の児童しか普通購読しないため、
ドラえもんを読む子どもの数はひどく限定されていた。)
裏番組に強敵(マジンガーZ・アップダウンクイズなど)が
ひしめいていた事も影響し、視聴率的に苦戦。
中盤でドラえもんの声優を変更(富田耕生→野沢雅子)したり、
新たなレギュラー{ガチャ子(堀 絢子)}を設定するなどのテコ入れを数度行っているが、
結果は実らず半年で撤退する事となる。
この作品放送中に日本テレビ動画は事実上解散。

小学館雑誌TV告知記事

裏番組に苦戦しつつも、マーチャンなどの副収入は好調だったようで
取りあえず一年は放映できそうだ、と思っていた矢先に
日本テレビ動画は解散を決定します。
(詳細は真佐美ジュン氏のサイト内・ドラえもん頁の「最後の日」の項に詳しい。)
最終回放送時点で、既に日本テレビ動画のオフィスは引き払われていました。
ブラウン管に映るドラえもんを描いたスタジオのデスクに、既に人は無く、
様々な想いを馳せた設定集やセルがゴミとして処分されました…。
こうして、足掛け9年、日本放送映画(株)→東京テレビ動画→日本テレビ動画という
動画製作会社はその短い生涯を閉じたのです。


日本テレビ動画の終焉については当事者でもいらっしゃる真佐美ジュン氏のサイトに
詳細があるので詳しくは書きませんが、かなりドタバタしたらしく、結果として
多くの資料やデータが解散の際に焼却処分され、ほとんど残っていないとの事。
昭和40年代のTVアニメの製作現場は、数多くの書籍でも
語られていますが、過酷かつ低賃金ゆえに多くの下請け、弱小プロは
潰れては消え、産まれてはまた潰れの繰返しだったと言われています。
これにより日本のTVアニメは週1放映するという、世界でも類を見ない状況を生み、
結果として多くの作品が輩出され、レベルも向上し、世界的な産業となりました。
が、その影で消えていったアニメーター、製作会社の何と多いことか。
日本テレビ動画、という会社も、過酷な昭和40年代という環境の中で産まれ、そして消えていきました。
多くの製作プロが命を削って作品を輩出し、その引き換えに消滅した、それと同じように。



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